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処女作にすべてあるか

処女作にはその作家のすべてがある、
なんてことがよく言われる。

最近読んだ、保坂和志・小島信夫の『小説修業』(中公文庫)に、

   何十年か続く小説家人生を通じてどういうことを書いていきたいかという、
   漠然としているように見えて本当のところ確固としたイメージを
   デビュー前から持っているような人でなければ小説家にはなれない。
   デビューというのはそういう意志が社会と交わる瞬間みたいなものにすぎなくて、
   つまり、すべての小説家はデビューする前から
   小説家としてのキャリアが始まっている。

という一節があった。

たしかに、時と場を越えて読み継がれている小説家ほど
しつこくしつこくひとつのテーマについて書き続けている。

そのテーマは例えば「人情」であったり「愛と裏切り」であったり、色々ある。
ひとつのテーマを追い続けて、その先にまた新しいテーマが湧き出てきて、
スタート地点からは思いもしなかったところにいたって、
「ずいぶん辺境まで来たな」と感じる小説ほどおもしろい。

すこし話がズレたので元に戻って、
“処女作にはその作家のすべてがある”である。

大学時代から読み続けているドストエフスキーについて、
どうも“処女作には~”が当てはまらないような気がするのだ。

彼の処女作『貧しき人びと』。
どんなストーリーであったか。
手元にある新潮文庫の裏表紙にはこう書かれている。

   世間から侮蔑の目で見られている
   小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンを
   薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。

ドストエフスキーの諸作に漂う
印象だけで言えば、暗くなんとなく救われないような雰囲気は
たしかにある。
しかし、大学時代に読んだとき、
『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、『悪霊』などに比べると
どうも「人間の神秘を解き明かす」という人間の本質に迫る
ドストエフスキーの迫力に欠けて、おもしろく感じなかった。
実際、『貧しき人びと』に関する批評文や論文は少ない。

それというのも理由があって、
ドストエフスキーはこの『貧しき人びと』でデビュー後、
危険思想犯として逮捕され、極寒のシベリア監獄に流刑されてしまう。
そして、その獄中での体験が彼のその後の作家人生に多大な影響を及ぼし、
また執筆に駆り立てるテーマを与えるのである、
とされているからである。
(獄内の体験については『死の家の記録』を読まれたし)

つまり、一般的にドストエフスキーの小説家としての本格的なスタートは
出獄後に発表された『地下室の手記』ととらえられる。

事実、『貧しき人びと』にはドストエフスキー作品の重要なテーマのひとつである
「神」や「良心」についてほとんど書かれていない。
書かれていないというのはウソか。薄いと言った方がよいかもしれない。

そんな訳で、自分は『貧しき人びと』を軽視していたのだけれども、
本棚にしまいっぱなしにして約10年、久しぶりになんとなく手にとって読んだ。

おもしろかった。

ちなみに新潮文庫の裏表紙の紹介には続きがある。

   都会の吹きだまりに住む人々の孤独と屈辱を訴え、
   彼らの人間的自負と社会的葛藤を描いて
   「写実的ヒューマニズム」の傑作と絶賛され、
   文豪の名を一時に高めた作品である。

「写実的ヒューマニズム」というのがよく分からない。
辞書を引いて直訳してみる。

【写実的ヒューマニズム】
実際のありのままにうつしだすように描かれた、
人類の平等をみとめ、人類全体の平和の実現を最高目的とする主義

なんだか、余計分からなくなった。
そんなことが、この小説に書いてあったけか。

小説の解説に「薄幸の乙女ワーレンカ」とあるが、
彼女を「薄幸」とのみとらえるのも違う気がする。
薄幸かもしれないが、それゆえに「したたか」ではなかったか。

という感じで、ま、おもしろかったので、
もう一度『貧しき人びと』をちょっとずつ読んでいこうと思う。

by hiziri_1984 | 2013-05-21 23:23 | 瀆書体験  

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