『ル・アーヴルの靴みがき』(後)

《ネタバレあります》

靴みがき仕事の合間、老人は海岸沿いで昼飯を食おうとする。
ふっと目の前の海に目をやると、
服を着たまま海に浸かった黒人の少年がいて、
不安そうな表情で「ロンドンはどっち?」と聴く。ここは笑った。

そうして、老人はひょんなことから出会った
アフリカ難民の少年を助ける。警察から少年をかくまいながら、
イギリスにいる母に会いに行くという少年に手を貸す。
しかし、「なぜ助けるのか」は、作中一切語られない。

例えば、これがアメリカ映画であれば、
いい年こいてそんな無茶は止せ、警察に捕まるから止せ、
といった周囲の反対を押し切ってまで、
ご政道の乱れを指摘し、自分の思う正義を貫いて少年を助ける老人!
というシーンを入れて、描くんじゃないかなぁと思いながら見ていた。

そういえば、クリント・イーストウッド監督『グラン・トリノ』では、
Mr.アメリカとも呼ぶべき頑固じじいが、在米東洋人の若者を守った。
古きよきアメリカを知る一人の男としての矜持や誇りを胸に秘めつつも、
ニュートラルかつ柔軟な考え方で若者と向き合い、
今の世の中で果たす自分の役割を見定め行動し、
老兵の生き様と死に様の輝きを見せた。

カウリスマキはそうはしない。
『ル・アーヴルの靴みがき』で、
老人はご近所の仲間と協力し、密航のための資金さえ捻出し、
イギリスにいる母に会いに行くという難民の少年を助ける。
なぜだろう。

その“なぜ”が、問われることはない。
多くを語らぬ、静かなる抵抗であり続ける。
なぜそうするのか。
わからない。

ただ、映画館を出たあと、その“なぜ”が不思議と腑に落ちている。
その理由はまだよく分からないけれども、
本作は、映画という非現実を描く作りものが、
現実に対してそのチカラを発揮しうる、
ギリギリの虚構で、ていねいに制作されているように思える。

本作は、黒人の少年のロンドン行きを実現した後、
妻が病気から奇跡的に回復するハッピーエンドで終幕する。
これは、善い行いをすれば、まわりまわって、
自分に善いことがあるということを意味する。
前向きにいまを見つめる視点で、締めくくられるんである。

エンドロールを見ながら、
本作のコピーは「映画史上、最高のハッピーエンド」とあるけれども、
あるいは、「史上最もギリギリのハッピーエンド」であるなぁと思った。
それは、映画は理想や夢を描く物語であるという側面と
新しい視点で現実を見つめる視点をもたらすという側面があると思ったから。

それから、“なぜ”がわざわざ語られないのは、
みんな口にはしないけれども、
いまヨーロッパ諸国で起きている難民問題とその対応策が
「よいわけねーだろう」という庶民に潜在する想いがあるからなのかな、
とも思った。
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自由と平等と博愛の国における、現実に対する静かな抵抗。
カウリスマキ監督作品は今回も、日常を照らす素晴らしい作品であった。

バーの青い目のおばあちゃんがとてもきれいな人であった。
(予告編で「(あなたの女房は)いい女だよ」と言っているおばあちゃん)
[予告編]http://www.youtube.com/watch?v=KkFYfD-2eAQ
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by hiziri_1984 | 2012-05-29 14:44 | 映画館で観る  

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