新聞はもう来ない

本日の読売新聞の書評欄、
よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター』に寄せる
「心を取り戻させる小説」という題の小泉今日子の文章。

22才の私の日々は目が回るほど忙しく、文字の通り心をなくしていたと思う。仕事をしている以外の時間は無気力で、息を吸って吐くということすら上手に出来なくなっていた。まずいなと心のどこかで感じていたけれど問題に向き合う元気も湧いてこなかった。そんな時、著者の処女作「キッチン」を読んだ。ただ一冊の小説を読んだだけなのに、心は私の元にすんなりと戻って来てくれた。
〈中略〉
22才だった私は心を取り戻し確かに生まれ変わった。人から見たら何も変わらなかったかもしれないけれど、自分の目に映る世界はガラリと変わったのだ。あの感覚を今はっきりと思い出した。生きているということはそれだけで奇跡のように素晴らしい!のだ。

作家、大学教授、ジャーナリストたちが記事を寄せるなか、
女優・小泉今日子は一般読者の代表という視点で
自分の人生経験、読書体験をもとに
いつも率直でまっすぐな文章を書く。
いわゆる芸能人なのに、普通に共感できるのが不思議で、おもしろい。

たとえば、
よしもとばななの描く「生」には、
その裏に、常に濃い「死」の気配がある。
だからこそ、人物たちの生が輝いて映る。
それは、3.11以降のこの世界にあって、
よりいっそう強烈に感じられる。
といったような文学的読みをたのしむ一方で、
作品と自分の個人的な体験とがリンクした時の感動とか、
ある一節から忘れかけていた過去の一場面を急に思い出したりとか、
そうした読書の愉しみを忘れずにいたい。
むしろそれが、読書の本分だ。
と、小泉今日子の文章は思い起こさせてくれる。

今月いっぱいで我が家は新聞をとるのをやめるのだそうだ。
節約生活がついに新聞にまで及んだ、のか。

毎週日曜日に掲載される書評欄から
「この本はおもしろそうだ」という記事を切り取り、
ノートに貼っていくという作業を続けて、気付けば8年程経った。
途中、中断した期間もあるけれども、それでもノートはかなりの量になっている。
ノートに貼らぬまま、該当の記事に丸だけつけて、積み重なっているものもある。

始めたきっかけは、
当時書評委員だった町田康の文章がおもしろかったから。
(彼はもう降りていて、作家では川上美映子とか朝吹真理子とか。
 ちなみに評論家は現在ひとりもいない)

ちなみに朝日新聞の書評委員を調べてみると、
荒俣宏、柄谷行人、穂村弘、横尾忠則、石川直樹という名前が並んでいて、
大学教授ばかりガチガチに固めている読売よりも、
俄然おもしろそうだ。
これから日曜は朝日を買おうかしら。

書評そのものを読むのもおもしろいし、
「後でその本を買って読んで、また書評記事を見返そう」という
つもりもあって続けてきたけれども、
この8年の間に丸を付けたうち、
どれくらいの量の本を読めたかというと、
おそらく全体の5%にも満たない。
読みたいものは書店に行ってもたくさん見つかるので、
特に仕事に就いて読書量が減ってからは、
ノートと記事は溜まる一方で完全に消化不良を起こしている。

新聞をとらなくなるということだし、
なんとなくこれをきっかけに
ぼちぼち、丸を付けた書籍を読む方へうつりたいな、と思っている。
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by hiziri_1984 | 2012-01-29 23:32 | 瀆書体験  

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