「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」

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東京都写真美術館に展示中の
「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」へ行ってきた。

NHKの番組にクーデルカが出演しているのを見たのがきっかけだ。
彼の表情がいきいきしていたのが印象的で、
というのも、チェコ事件について自分は全く知らなかったけれども、
何かしらチェコで起こった悲劇的事件であることはVTRで理解できたのだが、
チェコ人である彼が、怒り・憤りでもなく、悲しみでもなく、
ただ楽観的なのでもなく、不思議といきいきとしていてた。
写真そのものよりむしろ、
撮影時の状況を語るジャーナリスト・クーデルカ自身に、
妙に惹きつけられるものがあった。

展示場では、
プラハ市民たちが兵士に勇ましく立ち向かう姿よりも、
自分たちの街に、突然、ワルシャワ機構軍の兵士や戦車が現れ、
戸惑い、呆然とする街の人々の姿にふるえた。強く印象に残った。

それは、やはり、展示開催の意図のひとつであるところの、
プラハ事件と3.11以降の日本の状況のつながり。
この写真群は、時間と場所を越えて、3.11と重なる。重ねて見ざるを得ない。
十数年前に、外国で起こった出来事が、
今の自分らにとって、もう他人事としては目に映らないのだ。

3月11日以後、もし自分があの場所にいて、生き延びて、
家族を失くし、恋人を失くし、友達を失くし、家を亡くし、それでも生きていたら。
と考え思ったし、そうなったら
「なんで私(たち)だけ、こんな目に合わなけれないけないのだ」
という理不尽さに、どう気持ちを決着させるのか、と。
本音を申せば、想像つかねーよ、というところであり、
でも頑張って想像するべきという気持ちを持ちつつも、
今年は節電だねーなんて嘯きながら、割と平然として生きていける。

だめじゃん。

と思っていた矢先に目にしたのが、熱く撮影時を語るクーデルカで、
人生に暗い影を落としたであろう出来事をなぜこうも、いきいきと語れるのだろう。

1968年にチェコで起こったありのままを一枚一枚見ながら、
当時のチェコと今の日本をダブらせて思ったのは、
クーデルカの熱狂の根源は、おそらく、
それでもジャーナリストとして写真家として生きてきた
彼の強い意志が際立って感じられるからなのだなと。

それでも生きて、世界を撮り続けてきたクーデルカの強い視線というか、
眼差しのようなものが強く心に焼き付いた。
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by hiziri_1984 | 2011-06-09 22:59 | お酒を頂きながら鑑賞  

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