想ー像ーラジオー


いとうせいこうの小説、『想像ラジオ』を読んだ。

想像力が電波となり、
不特定多数の誰かに発信され受信されるふしぎなラジオ。
リスナーはこの世にいない人々へも届いているようだ。
想念のちからが、時と場所を越えて、生と死を曖昧にする、とでも言おうか。

番組のDJは、大津波によって樹上に吊り下げられてしまったひとりの男。
彼の独り言、あるいは脳内に湧き出す言葉が伝播していく。

このラジオ番組を発信・受信する人々は皆、
きっと3月11日の出来事によって生活を揺り動かされた人であって、
あの日以降あらためて、読者のひとりとしてそうイメージせざるを得ないのだなぁと思う。

読んだのが1ヶ月前。
ところどころうろ覚えだけれども、
ひとりのリスナーの女性からDJに届けられた投稿が妙に印象的だ。

その投稿の内容というのは、
地方の町に生まれ住む私(ひとりの女性)が、
朝起きて工場の経理的な仕事に出勤し、
PCでゲームをやりつつ働き、
帰ってきてメシを食ってケータイのゲームをやって眠る。
大体そんな話。

この投稿には、
非常事態にみまわれて初めて
ありふれた日常のかけがえなさに気づく的なものだけではない
何かがあるように思った。

最近読んだ別の本、中原昌也『死んでも何も残さない』(新潮社)にこんな一節があった。

   
   因果応報の物語を作っているのは神様ではなく自分自身だ。
   しかし、どうすればこの嫌な循環から解放されるのか。
   文章を書いたり、物語を作ったりすることは、
   本当は意味もなくランダムに存在しているものを、
   必然性があってそのように散らばっている、と証明しようとする仕事だから嫌なのだ。


   僕だって妄想を抱えているけれど、物語というのはすべて陰謀史観でしょう。
   陰謀史観というか、関係妄想。僕はそれに悩まされ続けてきたわけだし、 
   妄想を否定する唯一の手段は、小説を書かないこと。
   つまり、現実を物語として構築しないこと。


これらの一節は、女性の投稿はもちろん、
いとうせいこう著『想像ラジオ』をより愉しく読む上で、
よきヒントになるんじゃないかと思った。

思えば、テレビで放送されるワイドショーやニュースではいまだに、
殺人犯の過去や日常をさぐり、殺人に至るストーリーをつむごうと必死で
見る人もまたそこになんらかの因果や物語を見つけないと
納得できなくなっているような気がする。
自分もそうなりがちだ。

世の中にまるでバラバラに点在する一人ひとりの思いや出来事。
女性の投稿をはじめ、『想像ラジオ』に出てくるDJの思い出や他のリスナーの投稿。
それらをまとめて、
「それでも僕らはひとりじゃない」とか「みんなつながっている」というところに
着地することなく、わかりやすい物語に回収されずに、小説が続きそして終わる。

そこにこの作品の面白さのひとつがあるんじゃなかろうか。そう思った。
それが顕著に感じられたのが自分の場合、あの女性の投稿だったのかもしれない。

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# by hiziri_1984 | 2013-03-20 14:55 | 瀆書体験  

“暗い話を聞きたいが、笑って聞いていいのかな”


星野源 『くせのうた』
http://www.youtube.com/watch?v=uYJS0O-9tIc

飲み会の最中か、はたまた仕事や学校の帰り道か、
ちょっと好きになって気になる女の子のことをもっと知りたくて
「君の癖ってなに?」と話しかけてみようと思って、
“あーでもこんなこと聴くとなんかキモいだろうか。ウザいだろうか”
と思って止める。

だけれども、やっぱり聴きたい知りたいと思い立って
「君の癖はなんですか?」と話しかけるまで。
よくよく聴くとそれだけの歌なのだけど。
やっとそれを声に出して話しかけられるまで、
そのプロセスをていねいにこまやかに歌う。

いま読んでいる最中の中原昌也の自伝の一節にこんなものがあった。

    世界はどんどん多様性を失い、多くを感じない人のものになっている。
    人間が進むべき道は、どんな些細なものからも多くの意味を受け取ることだろう。
    しかし、現実は逆。
    《中略》
    万物と接続する回路のない人の痛みなんて、お前だけの痛みだろう。
                       - 中原昌也『死んでも何も残さない』 新潮社 ー 

オカルトムービーに「イカれた」自伝的文章のなかにあって、
急にグサッと突き刺してくる一文。
“知りたいと思うには 全部違うと知ることだ”と歌う『くせのうた』から
ジワッと伝わってくるものと似てる。

理由と行動、原因と結果の間にあるものをはしょらずに
ていねいにていねいに追って思い考える。

“寂しいと叫ぶには 僕はあまりにくだらない”
なんて歌う人はいなかったなぁ。
「君の癖はなんですか?」と話しかける時、
その人はきっといい顔をしているにちがいない。


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# by hiziri_1984 | 2013-03-02 11:16 | お酒を頂きながら鑑賞  

ある日の休憩で


バイトの休憩時間ひとり一服していると、
途中で50代後半くらいのジャンバー姿のおっさんが喫煙所へ入ってきた。
4畳ほどの広さに自分とおっさんのふたりきり。
おっさんは煙草に火をつけるなり、おもむろに話を始めた。

「おんな専用の車両があるってのは、あれ、おかしいだろ」
といういささか憤慨気味の一言からはじまり、
女性は身体的な都合で月に1日2日休むことができるから
急にシフトをズラされたりして困る、
現場の作業場やトイレなどの環境にいちいち文句をつける等など、
男女雇用機会均等法によってかえって不遇・不利が露になった男の立場を
「平均寿命だって女の方がなげーだろ。しぶてぇんだよ、女は」と
締めくくられまで4、5分絶え間なく語り続けた。
どうやらドライバーらしいそのおっさんの現場論を
実際知らなかったことも多くあり、
自分は「なるほど」とか「へぇー」と相槌を入れながら聴いていた。

ちょうど煙草一本、ひとしきり話し終えたおっさんは、
入って来た時よりも幾分晴れやかそうな様子で喫煙所を出ようとした。

と、不意にこちらへ向き直り、
「おれ、女房いるんだよ。子どもだって、ひぃ、ふぅ、みぃ・・・4人いるんだよ」
と一言残して、出ていった。

もしかすると、おっさん、
おれが「こいつはいまだに結婚できないから、
こんな女性偏見みたいなことを言うんだな」と思っている、とでも思ったのだろうか。

色々と現場の話を聴けた。勉強になった。
しかし、なによりも、最後に自分の子どもを
「ひぃ、ふぅ、みぃ」と指を折りながら数えたのがおもしろかった。
子どもが4人もいるとわが子と言えど指折り数えるのかもしれない。
おっさん、わが子の名や顔を今一度思い浮かべながら数えたのだろうか。

腹の中をくすぐられるような感じがして、
妙に清清しい気分になって喫煙所を後にした。
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# by hiziri_1984 | 2013-02-28 12:31 | 散文  

江戸前啖呵の炸裂


言わずと知れた、“親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている”である。

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『坊っちゃん』 夏目漱石 (新潮文庫)

この年になって初めて読んだ。
こんなにおもしろいとは知らなかった。

主人公の快傑江戸っ子男子・坊っちゃんが
生まれ育った東京を離れ、四国の中学教師に赴任するところから
小説がグッと勢いづく。

なんといっても、坊っちゃんの江戸前啖呵の炸裂っぷりがいい。笑える。
それがさらに「~だな、もし」なんて言うおっとりのんびりした
四国言葉との対比によって、歯切れのよさが際立っている。

途中、焼いても煮ても食えない慇懃美術教師・野だいこを指して、
坊っちゃんはこんなことを思う。


  野だは大きらいだ。こんなやつは沢庵石をつけて海の底に沈めちまう方が日本のためだ。


単純明快、読んでスカッとする。
私的な感情であっても、威勢のよさで一般的・客観的な見解などは吹き飛ばす。
こういう語り方は、落語、こと東京の落語でよく聴く。

また、野だいこ(「太鼓もち」を由来とした揶揄)というあだ名を
坊っちゃん自らがつけたにもかかわらず、
いつのまにか「野だいこ」から「野だ」になっている。
あだ名が一周して普通の苗字(野田)になっているのも、おもしろい。
「この際いちいち呼ぶのも面倒だ。あだ名も略しちまおう」
なんていう説明くさい一文のかけらもないのもいい。

小説後半、東京では体験したことのなかった、
狭い田舎街ならではの閉鎖的な雰囲気や
じめじめとした人間関係、そこに根づく奸計や嫌がらせに参りながらも、
坊っちゃんは宿敵・赤シャツと野だに復讐を敢行する。

この、小説の山場ともいえるシーン。
自分は緊迫するどころか、読んで脱力した。
それというのも、
復讐の際、坊ちゃんは後で食おうと思っていた生玉子を野だの顔面に投げつけるのだ。

これはやっぱり洒落だろう、と。
「いい気味(黄身)だ」っていう。
100年前の作品のオチをいまあーだこーだ言っても仕方ない。
ただ、一貫した作品における調子というか馬鹿馬鹿しさには感服した。

ネタバレで言ってしまうと、この復讐が本作のいわばクライマックスである。
知恵はないが、腕に自身のある坊ちゃんは玉子を投げつけ、
ここぞとばかりに野だを殴りまくる。
山嵐は自分を辞職へと追い込んだ赤シャツを殴りまくる。

作中、敵役ふたりのねちねちとした嫌がらせが幾度となく繰り返される。
だから、もはやこのシーンまでたどり着くと、
暴力はいけないとかいうモラル・道徳を越えた清清しさや気持ちよさがある。

「殴っちまえ、そんなやつ」が成立する。

そういった意味で、この作品が名作と言われる由縁がなんとなくわかった。
普通一般でダメだろうとされていることがOKになり(肯定されていて)、
それが江戸前の笑いと織り交ざって、おもしろいことになっていると思った。
「300円だから」という安易な理由で読んで、思わぬおもしろさであった。

そういえば、本文とは関係ないけど、
読み終えたあと、ふっと頭に湧いた歌があったのでご紹介します。

■『マシマロ』 奥田民生
http://www.youtube.com/watch?v=vx61fYz-8WI
歌われている人間像のニュアンスがちょっと似てる、のでしょうか。
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# by hiziri_1984 | 2013-02-22 23:53 | 瀆書体験  

29歳の男


のんびり読めるのがいいなーと思って、
なんとなく書棚から手にとった。

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奥田民生 『FISH OR DIE』 角川文庫

ユニコーン解散後、しばらく休んでいた頃からインタビューは始める。
とにかく最初は、「休みたかった」「釣りばっかりしてた」言ってばっかりである。
素敵な大人っぷりだ。

インタビューの後には、ソロ1枚目『29』の楽曲解説がある。
そう、この頃の奥田民生は29歳。
くしくも、先日自分も29歳になった。
こういう読書の縁というのはけっこうある。
それにしても29歳というのは「休みたくなる」お年頃なのだろうか。

本書の発売は1999年。
買った当時はたしか中学生。
当時、29歳なんてはるか先のことだと思っていたら、
いつのまにかその年に辿りついている。
あれ以来で読むわけだから、14年前。早いもんだ。
よくぞ手放さなかった。

こうなったら『29』を聴こうと思ったけど、
部屋整理のため、CDはあらかた売ってしまってもはやない。
こういう時に棚からCDを奥からひっぱりだして聴くというのがいいんだなと思った。
とっておけばよかった。手放してはいけなかった。

インタビューの合間に対談が入る。
最初は井上陽水。それから、桜井和寿、矢野顕子、広瀬香美、PUFFY。

ユニコーンの解散、釣り、バンド、ライブ、PUFFYのプロデュースなどの話が続く。

巷にあふれるラブソングや頑張れソングへの反抗心をあらわにしつつ話す、
音楽と詞の作り方がおもしろい。
それでいてとらえどころがない。でも、そこに惹かれる。


   (『イージュー☆ライダー』は)歌ってる相手も、
   同世代に対するメッセージというよりも、自分にという希望ですよね、希望。
   こういうふうなことを言っていられれば楽かなっていうような、自分に対するものなので。
   みんなこういうふうに生きようじゃないかというのとは、ちょっと違うんですよね。
   ぼくはこうしたいんだということで。

   
   え!?『さすらい』聴いて会社やめちゃった人がいるの?しまった!!
   そこでさすらおうと思っちゃいけないんだ(笑)。
   さすらおうって言われたからさすらっちゃ、人間としていけねぇだろ。
   自分はないのか、みたいなですね(笑)。
   だって「さすらお~ぅ~」の「お~ぅ~」がダサくていいなと思って作ったのに。


PUFFYのプロデュースの話なんかは、
中学生当時あまり面白く感じなかったけれども、
いま読むと、アラサーにして勉強とか練習とか言っているのが印象的だった。

名盤『股旅』がそろそろつくられる頃なのかなっていうくらいで、
インタビューは締めくくられる。
あれから14年。ミュージシャン・奥田民生は現役バリバリだ。
久々に近作を聴いてみよう。

その前にまずPUFFYの初期を聴こう。
http://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q
いいなぁ。
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# by hiziri_1984 | 2013-02-20 23:58 | 瀆書体験