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いま、大人たちにこそ「小劇場」という冒険を。


舞台の広さはおよそ10畳、客席は100人入ればほぼ満席。
東京のアンダーグラウンドにある、
決して大きくはない劇空間。そこで、きょうも静かに幕が上がる。
「小劇場」。それは臨場感と迫力に満ちた演劇の現場だ。
演者と観客がひしめく濃密な空間で、
ここにしかないドラマが立ち上がっていく。



■テレビにも映画にもない「人間の迫力」
目と鼻の先で演技が繰り広げられることほど、
非日常的かつ刺激的な体験も少ないのではないだろうか。
役者たちの息づかいまで伝わってくる距離感、舞台の熱気を肌で感じる臨場感。
観客は、激しくエモーショナルに動く役者の一挙手一投足、細部にいたる演出、
その一部始終を「生」で目の当たりにする。
そう、テレビドラマや映画とはちがう。すべてが「生」なのだ。

小劇場で演じる役者のほとんどは職業として演劇をやっているわけではない。
それぞれが演劇とは別の仕事に従事し、
合間をぬって稽古に励み、自分もひとりの観客として小劇場へ足を運ぶ。
そして、自らの舞台に立つ。
彼らは小劇場にしかない何かを感じ、魅せられたファンのひとりに他ならない。
ファンの愛は、時に本職の人のそれを凌駕し得る爆発力を秘めている。
だから小劇場では時として「事件」が起きる。
大劇場の舞台で繰り広げられる最大公約数的な物語では描けないドラマの迫力が、
不意に現れるのだ。
その時、観客は目撃者になる。
テレビやスクリーン越しに見る別の世界ではなく、「いまここ」にしかないものを目撃する。
大舞台でロングラン公演を果たす俳優や劇作家の中に
いまも小劇場にこだわる人が数多くいる理由はそこにあるのではないだろうか。
小劇場にこそ演劇やドラマの本質がある、と言えるのかもしれない。


■あなたの日常に新しい刺激を
東京は世界一小劇団が多い都市と言われる。
その中のひとつ、劇団「アカネジレンマ」。
その主宰であり、脚本・演出を担当する永利祐太もまた、
小劇場ファンのひとりであり、都内の小劇場に通う中で感じた「何か」が
劇団立ち上げの原動力となった。
彼はその何かを「温度」であると語る。
劇団の旗揚げから8年、
“等身大の人々が過ごす日常の中でふと現れる劇的な瞬間とその一期一会”を
描き続けてきた彼らの舞台には、たしかに小劇場でなければ伝えられない温度が息づいている。
一筋縄にはいかない不条理や葛藤を抱えながらも前へ進む物語に、
観る人は共感し、ふしぎなぬくもりを感じるだろう。

小劇場での体験はきっとあなたという存在に揺さぶりをかける。
それはいま仕事や生活に励む大人たちにこそ、ぜひ一度飛び込んでほしい世界だ。
学校を卒業し、社会に出て働き、家族をつくる。
さまざまな人生の場面を経て、
豊かな経験を積んできた大人たちにこそ、いまきっと小劇場が面白い。
「生」のドラマは、あなたの人生に新しい刺激をくれるはず。
舞台で躍動する役者たちの表情、息づかい、体温にふれた時、
あなたは何を感じるだろうか。
激しい喜怒哀楽に翻弄されるか、
あの頃の記憶が甦るか、
明日を生きるヒントを得るか―

小劇場の体験は、あなたの日常をあたらしい角度から照らす。
舞台を見終えて一歩劇場を出たとき、
きっといつもの風景がすこしちがって見えるはずだ。

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自主制作しているフリーマガジンに寄稿しました。
(掲載誌元→http://drawtokyo.jimdo.com/zine/
友人がやっている劇団の紹介に寄せて、
「小劇場」という世界の面白さについて書いた記事です。

小劇場、一度体験してみる価値はあると思います。
以下、せっかくなので友人の劇団の紹介です。


夜になり、また朝が来る。
その当たり前のループへのささやかな反抗、
一期一会の群像劇を。

アカネジレンマ
アカネジレンマは、映画でも小説でも表せない、小劇場でしか伝えられない温度を持つ作品にこだわっている。世界にとってはちっぽけかもしれないが、自分にとっては存在をも揺るがす大きな出来事を縦糸に。人々の生活のなかに、あるいは非日常のなかに、滲み出てくる些細な心の動きを横糸に。そのふたつの糸が絡み合い、劇場を出れば、いつもの景色やいつもの人々が少しちがったように見えてくる編み物を、私たちは不器用な手で織り続けている。
現在、2013年内公演に向け着々と進行中。
http://www.akanedilemma.com
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by hiziri_1984 | 2013-07-03 21:46 | お酒を頂きながら鑑賞