カテゴリ:お酒を頂きながら鑑賞( 33 )

 

ヴィム・ヴェンダース監督 「Land of Plenty」


“テロリストはどこにいる?”
「自由の国」から真実へ向かうロードムービー


Land of Plenty (2004 アメリカ)
監督/ヴィム・ヴェンダース
出演/ミシェル・ウィリアムズ、ジョン・ディール 他


9.11から2年と1日後から映画は始まる。舞台はロサンゼルス。
9.11以降、愛する母国を見えざるテロリストから守る正義の男。
彼はベトナム戦争の後遺症を身に抱えながらも、
誰に頼まれたわけでもなく、自らの意志でロスの街を自警していた。
そこにアメリカ生まれアフリカ育ちの姪・ラナがやってくる。
ネットや旅を通じてフラットな世界観を身につけた彼女がアメリカで見たものは、
豊かな経済大国でも、夢を掴むチャンスにあふれた自由の国でも、
世界を導くリーダーシップに溢れる国でもなかった。

この映画はドキュメンタリーではない。
でも、9.11の真相や「アメリカンドリーム」が
国を世界に知らしめる誇大宣伝広告に過ぎなかったことが分かったいま、
アメリカのリアルな姿のひとつがおそらくまちがいなくここにある。
ヴェンダース監督は、ロスの貧民街にも、
そこで暮らす人々に手を差し伸べることをタブーとする政府の方針にも、
テレビばかりが世界とつながる窓になった地方都市に暮らす人々の現状にも、
容赦なくカメラを向ける。

終盤、叔父と姪はニューヨークを目指してクルマで駆け抜ける。
アメリカを愛し信じる強く哀れな叔父と、
彼に寄り添いながら世界をも愛そうとたくましく生きるラナのまなざしが
同じ方向を向いて走り出すとき、
そこには他のどこにもない、哀愁とかなしさをまとったひとつの国の実相が見えてくる。

地方都市のハイウェイ沿いで、
ラナが「truth(真実)」と「consequence(必然・結果)」が表裏一体であることを
微笑みながら見つめるシーンは、
ヴェンダース作品屈指のやさしさと美しさに満ちたシーンだと思う。


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※フリーマガシン寄稿原稿

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by hiziri_1984 | 2013-11-09 22:01 | お酒を頂きながら鑑賞  

いま、大人たちにこそ「小劇場」という冒険を。


舞台の広さはおよそ10畳、客席は100人入ればほぼ満席。
東京のアンダーグラウンドにある、
決して大きくはない劇空間。そこで、きょうも静かに幕が上がる。
「小劇場」。それは臨場感と迫力に満ちた演劇の現場だ。
演者と観客がひしめく濃密な空間で、
ここにしかないドラマが立ち上がっていく。



■テレビにも映画にもない「人間の迫力」
目と鼻の先で演技が繰り広げられることほど、
非日常的かつ刺激的な体験も少ないのではないだろうか。
役者たちの息づかいまで伝わってくる距離感、舞台の熱気を肌で感じる臨場感。
観客は、激しくエモーショナルに動く役者の一挙手一投足、細部にいたる演出、
その一部始終を「生」で目の当たりにする。
そう、テレビドラマや映画とはちがう。すべてが「生」なのだ。

小劇場で演じる役者のほとんどは職業として演劇をやっているわけではない。
それぞれが演劇とは別の仕事に従事し、
合間をぬって稽古に励み、自分もひとりの観客として小劇場へ足を運ぶ。
そして、自らの舞台に立つ。
彼らは小劇場にしかない何かを感じ、魅せられたファンのひとりに他ならない。
ファンの愛は、時に本職の人のそれを凌駕し得る爆発力を秘めている。
だから小劇場では時として「事件」が起きる。
大劇場の舞台で繰り広げられる最大公約数的な物語では描けないドラマの迫力が、
不意に現れるのだ。
その時、観客は目撃者になる。
テレビやスクリーン越しに見る別の世界ではなく、「いまここ」にしかないものを目撃する。
大舞台でロングラン公演を果たす俳優や劇作家の中に
いまも小劇場にこだわる人が数多くいる理由はそこにあるのではないだろうか。
小劇場にこそ演劇やドラマの本質がある、と言えるのかもしれない。


■あなたの日常に新しい刺激を
東京は世界一小劇団が多い都市と言われる。
その中のひとつ、劇団「アカネジレンマ」。
その主宰であり、脚本・演出を担当する永利祐太もまた、
小劇場ファンのひとりであり、都内の小劇場に通う中で感じた「何か」が
劇団立ち上げの原動力となった。
彼はその何かを「温度」であると語る。
劇団の旗揚げから8年、
“等身大の人々が過ごす日常の中でふと現れる劇的な瞬間とその一期一会”を
描き続けてきた彼らの舞台には、たしかに小劇場でなければ伝えられない温度が息づいている。
一筋縄にはいかない不条理や葛藤を抱えながらも前へ進む物語に、
観る人は共感し、ふしぎなぬくもりを感じるだろう。

小劇場での体験はきっとあなたという存在に揺さぶりをかける。
それはいま仕事や生活に励む大人たちにこそ、ぜひ一度飛び込んでほしい世界だ。
学校を卒業し、社会に出て働き、家族をつくる。
さまざまな人生の場面を経て、
豊かな経験を積んできた大人たちにこそ、いまきっと小劇場が面白い。
「生」のドラマは、あなたの人生に新しい刺激をくれるはず。
舞台で躍動する役者たちの表情、息づかい、体温にふれた時、
あなたは何を感じるだろうか。
激しい喜怒哀楽に翻弄されるか、
あの頃の記憶が甦るか、
明日を生きるヒントを得るか―

小劇場の体験は、あなたの日常をあたらしい角度から照らす。
舞台を見終えて一歩劇場を出たとき、
きっといつもの風景がすこしちがって見えるはずだ。

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自主制作しているフリーマガジンに寄稿しました。
(掲載誌元→http://drawtokyo.jimdo.com/zine/
友人がやっている劇団の紹介に寄せて、
「小劇場」という世界の面白さについて書いた記事です。

小劇場、一度体験してみる価値はあると思います。
以下、せっかくなので友人の劇団の紹介です。


夜になり、また朝が来る。
その当たり前のループへのささやかな反抗、
一期一会の群像劇を。

アカネジレンマ
アカネジレンマは、映画でも小説でも表せない、小劇場でしか伝えられない温度を持つ作品にこだわっている。世界にとってはちっぽけかもしれないが、自分にとっては存在をも揺るがす大きな出来事を縦糸に。人々の生活のなかに、あるいは非日常のなかに、滲み出てくる些細な心の動きを横糸に。そのふたつの糸が絡み合い、劇場を出れば、いつもの景色やいつもの人々が少しちがったように見えてくる編み物を、私たちは不器用な手で織り続けている。
現在、2013年内公演に向け着々と進行中。
http://www.akanedilemma.com
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by hiziri_1984 | 2013-07-03 21:46 | お酒を頂きながら鑑賞  

“暗い話を聞きたいが、笑って聞いていいのかな”


星野源 『くせのうた』
http://www.youtube.com/watch?v=uYJS0O-9tIc

飲み会の最中か、はたまた仕事や学校の帰り道か、
ちょっと好きになって気になる女の子のことをもっと知りたくて
「君の癖ってなに?」と話しかけてみようと思って、
“あーでもこんなこと聴くとなんかキモいだろうか。ウザいだろうか”
と思って止める。

だけれども、やっぱり聴きたい知りたいと思い立って
「君の癖はなんですか?」と話しかけるまで。
よくよく聴くとそれだけの歌なのだけど。
やっとそれを声に出して話しかけられるまで、
そのプロセスをていねいにこまやかに歌う。

いま読んでいる最中の中原昌也の自伝の一節にこんなものがあった。

    世界はどんどん多様性を失い、多くを感じない人のものになっている。
    人間が進むべき道は、どんな些細なものからも多くの意味を受け取ることだろう。
    しかし、現実は逆。
    《中略》
    万物と接続する回路のない人の痛みなんて、お前だけの痛みだろう。
                       - 中原昌也『死んでも何も残さない』 新潮社 ー 

オカルトムービーに「イカれた」自伝的文章のなかにあって、
急にグサッと突き刺してくる一文。
“知りたいと思うには 全部違うと知ることだ”と歌う『くせのうた』から
ジワッと伝わってくるものと似てる。

理由と行動、原因と結果の間にあるものをはしょらずに
ていねいにていねいに追って思い考える。

“寂しいと叫ぶには 僕はあまりにくだらない”
なんて歌う人はいなかったなぁ。
「君の癖はなんですか?」と話しかける時、
その人はきっといい顔をしているにちがいない。


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by hiziri_1984 | 2013-03-02 11:16 | お酒を頂きながら鑑賞  

そういえば誰かが言ってたそんなこと


かなしいことは明るく歌う。
楽しいことは穏やかに歌う。
その相反する言葉と歌唱(演奏)の間に、
きっと人間らしいなにかが生まれ得る。

なんて一節があったような気がする。
人に薦められたマーヴィン・ゲイの名曲『What's Going on』を、
有志の和訳を観ながら聴いていて、ふと思い出した。

自分は別段歌うことにこだわって生きてきたわけではないけれども、
ふしぎと頷けた、誰かが言っていたか書いていた一節。
記憶がふと甦って、いま現在の何かとぶつかるそんな瞬間はきもちいい。

Marvin Gaye 『What's Going on』 訳詞付
http://www.youtube.com/watch?v=obwMsk5JzxQ

自分の好きな曲の歌詞を訳してみる。
こういうのを、好きとか楽しむとかいうんだろうな。
「おもしろむ」とでもいうような。

好きである、ファンである、ということが
じわっと伝わってきて、いい動画だ。いい曲だ。


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名盤、なんですね。襟、ドラキュラみたいで。マーヴィン・ゲイ、ドーン。
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by hiziri_1984 | 2013-01-21 22:58 | お酒を頂きながら鑑賞  

陽に当たるエロス ― 会田 誠

ふつうこういうものは鑑賞し終わってから書くものだと思うけれども、
鑑賞本番に向けてアドレナリンやらカウパー氏腺液やらが
湧き出て止まらぬので書きヌいておこう。

あたらしいジャパニーズエロスアート。
でもどうやらそれだけではなさそうな・・・

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会田誠展 「天才でごめんなさい」 森美術館

いちおう、まず自分の会田誠体験を振り返っておこう。

会田誠の作品を初めて見たのは10年くらい前。
当時テレビ東京で放送されていた「たけしの誰でもピカソ」という番組で、
少女の髪の分け目がそのまま田園のあぜ道に続いている彼の作品を見た。

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『あぜ道』/1991年(写真1枚目同チラシ裏面より)

テレビの前で驚いた。強烈だった。
なんてユニークなアイディアだ。
今思えば、あれが会田誠だったわけだ。

それからまた別の機会にどこかで見かけたのは、
ウルトラマンに登場する科学特捜隊のフジ隊員が巨大化して
キングギドラに攻められている作品。
半壊したビル街のなかで、半裸にされたフジ隊員が
キングギドラに犯されるように組み伏せられている。
フジ隊員は、それを拒んでいるわけでもなく、
そうしてほしいと思っているようでもなく、受け入れているようなそうでないような、
ただされるがままといった様子で、
「そんなことどうでもいいんだけど」といったような表情で、
虚空を見つめる目が印象的だった。
なんとも見ているこちらの潜在的なところをえぐられた。

その後、昨年、
日本橋高島屋で開催された「ジパング展」で、
人の大きさほどの山椒魚に裸体の少女が添い寝している作品を見た。

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『大山椒魚』/2003年

汚れのないものとグロテスクなものの共演。
絶滅危惧種であるオオサンショウウオを少女がやさしく守るように抱く。
種の保護や継承という意味合いがあるのか。
女性に癒されてその力を回復していくオオサンショウウオ。背景は和柄模様。
まっすぐに解釈すると、失われゆく日本の守護といったところだろうか。
山椒魚は男根のメタファーでもあるか。
リアリティすぎる山椒魚と幻想的な少女のコントラストが愉快だ。

はっきり言えるのは、会田誠の作品に興味が湧いたのは、
そこにアブノーマルやエロをまず感じたからに他ならない。

告知チラシの表面の『滝の絵』もまたエロチックだ。
スクール水着の少女たちが清流で戯れる風景にドキッとさせられる。
ところで、この作品を見て想起したワンシーンがある。

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つげ義春 『ヨシボーの犯罪』  (「ねじ式」小学館文庫より)

この作品は、学生らしき主人公ヨシボーが、
雑誌のグラビアに載っている水着の女性を
ピンセットで刺して食うという妄想からはじまる。
その犯罪の凶器となったピンセットを隠すために
街を自転車で走りまわるという
なんだかいつか夢で見たような内容の作品だ。

あらためて、会田誠の『滝の絵』を見る。

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『滝の絵』/2007-2010

スクール水着の女の子たちは、
ピンセットでブスッといくには、あまりにいたいげで、
未成熟な生き物だ。肉感にも乏しい。
また、彼女たちはまるで置物のようで、
その姿勢のまま永遠に動かないような印象がある。
何かにまたがっていたり、尻をこちらへ向けていたり、
無防備でフェティッシュなポーズのコレクションと言えるかもしれない。
一人ひとりが、フィギュアかマネキンなんじゃないかとも思う。

エロス?フェティシズム?ただのスケベ美術?
なんなんだろう。
ただニヤニヤしながら見ちゃっていいのだろうか。
これは男子たちのアタマの中にある
潜在的な性的欲求のイメージのひとつなのか。

向こうにそびえ立つ山は男根の象徴で、
そこから湧き出て流れる川の水は精液?
とすると、そこで無邪気に気持ちよさそうに遊ぶ女の子たちは・・・
危ういイメージにもなりうる。
と、メタファーの次元だけで見ても、
なんだかこの作品はビクともしないのだ。

しかし、エロ(ス)だとして、
つげ義春のように、暗く、深く、湿った犯罪的な性的欲望の印象が一切ない。

空もあり、日の光もあり、清流があり、
大自然の懐に抱かれて、全体は明るい。
こちらのいやらしい目つきなんて、ものともしない。
実際にこんな光景を目の当たりにしたら、正視できないだろう。
あまりにまぶしくて、いきいきとした生命感にあふれている。

ただ、健康的なシーンではあるけれども、
アブノーマルな雰囲気が漂っているのはたしかだ。
彼女たちの年頃もそうだし、
裸ではなくスクール水着であるのが、むしろ余計にその印象を強める。
滝と大勢のスクール水着という違和感。
斬新で大胆な組み合わせ。おもしろい。

それにしてもスクール水着とは。
“おいおいこんな女の子たちのスクール水着姿を、
 しかもこんなに大勢。なんか、ちょっと、いいのか、おい。でも見ちゃうよなぁ”
というパッと見のインパクトをフックに(完全に男子目線ですけど)
まずこの絵に惹きつけられる。
では、その先に何が見え得るか。

この『滝の絵』をはじめ、
キングギドラの性的攻撃にも動じずに身をまかせているフジ隊員といい、
守護神のように日本の絶滅危惧種を守る少女といい、
女性崇拝的思想とか、
ある種のマゾヒズムというと言いすぎかもしれないけれども、
どこかフェミニズムっぽさを感じる。

そういえば、会田誠の作品には男が出てこない。
(正確に言うと、男が出てくる作品もあるかもしれないが自分はまだ知らない)
出てきたとしても、キングギドラとか、
オオサンショウウオとか、宇宙空間をさまよう巨大なうんことか、
異形のものになって登場する。
なぜか。
それが、男性の本質的な姿だから?
女性の強さや生命力を引き立てるための演出?
自虐的な笑いのため?

それに対して、俗っぽさがみじんもない女性たち。
それも成熟と未成熟の間の微妙なお年頃の子たちだ。
「六甲のおいしい水」とか「ポカリスエット」のCMで表現されるような、
清純で、ピュアで、潤いに満ちたイメージ。
かたい言い方をすれば、汚れのない感じ。

自分は、すこし前に
山は男根、川は精液を象徴するなんて書いたけれども、
むしろ山は母体、川は羊水と捉える方が
正しいメタファーではなかったけか(勉強不足)。

実は、この『滝の絵』を見て想起したものがもう一つある。

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ミケランジェロ 『最後の審判』

どことなく似ていないか?
半裸の者たちが集っていることや全体の構図はもちろん、
色や雰囲気とか。どうだろう。
ん、似てない?全然ちがう?いや、やっぱ似てるって。

  ゴルゴダの丘で磔にされ、人間としての死を迎えたキリストは、
  一度埋葬されるも復活し、様々な奇跡を起こした後に昇天した。
  そして、この世の最後の日に再臨し、
  死者を含めた全人類を、天国と地獄に分ける「最後の審判」に臨むことになる。
  400人近い人がほとんどヌードで登場するこの壁画で、
  ミケランジェロは、人間の筋肉の固有の美と精神性を追求した。
        《「一個人 保存版特集 西洋洋画を読み解く」No.115(2009.12)P56-57 KKベストセラーズ》

上記の引用文を借りれば、
“30人近い女の子がほとんどスクール水着で登場するこの『滝の絵』で、
 会田誠は、日本人固有の美と精神性を追求した。”
と言えるのではないか。

ミケランジェロも、おそらく会田誠も、
作品のテーマにしているのは、
神であり、信仰であり、美だ。(あとエロスも)

ここで、『滝の絵』をグッと目を凝らして見てみる。
すると、彼女たちの中に数人、お腹の部分に縫ってある布によって
それぞれの氏名が分かることに気づく。
氏名を読んでみよう。

高峰、青山、河上、森、滝口、谷、小沢、若林、瀧澤。

ひとり、作品の上に展覧会タイトルが印刷されていて読めないけれども、
皆、氏名に自然にまつわる言葉が必ず刻まれている。

日本古来の神とは、
山や岩や川など自然に存在するあらゆるものを畏怖し、
崇拝する八百万の神であり、
キリスト教をはじめとする一神教とは異なる。
多神教の自然信仰である。

とすると、自然の言葉が刻み込まれた彼女たちは、
神の化身として表現され、そこに存在しているのだろうか。
『滝の絵』の左上部に目をやると、小さなお社が奉ってある。
つまり、あらゆる生命の根源である母体と羊水に満たされたこの空間は、
まさに聖域ということになる。
それが、スクール水着という
いかにも俗っぽい美をまとった少女たちを中心に表現されている、
そのダイナミズムとおかしさ。

『最後の審判』のような神々しさを漂わせながらも、
その一方で、どこか地方の女子中学校の遠足みたいな暢気さもある。
聖と俗が同居し、そのパラドックスが成立している変な空間。

彼女たちがどこかフィギュアっぽく感じられるのは、
永遠に年をとらず、汚れなき姿のままであり続けてほしいという
祈りのようなものが込められているのかしれない。
そして、そこには日本独特のオタク文化さえ包括されている。

なんだか、すごい。

この展示から、あたらしい日本とか日本らしさが見えてくるのかもしれない。
無論、テーマやモチーフはそれだけではないだろう。
観に行くのが楽しみになってきた。
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by hiziri_1984 | 2012-11-22 21:28 | お酒を頂きながら鑑賞  

競馬をおもしろくしてくれるのは、いつも言葉だ。


競馬をおもしろく感じる瞬間は、やはり、そこに物語を見つけた時だ。

血統、因縁、念願、復活、絶望、奇跡、伝説・・・

ともすれば、白々しく、寒々しく響いてしまうような大仰な言葉を
受け入れる器のでかさが、競馬にはある。

2012年度、JRAのCM「The WINNER」シリーズがいい。

高松宮記念 (キングヘイロー)
http://www.youtube.com/watch?v=7PoNbuwP8ts&feature=relmfu
面子がこんなにかっこいいのは、新しい。

桜花賞 (メジロラモーヌ)
http://www.youtube.com/watch?v=aJPiK8_v-Hk&feature=relmfu
牝馬史上最も美しい青鹿毛が、赤と黒の対比で鮮烈。

皐月賞 (アグネスタキオン)
http://www.youtube.com/watch?v=oYKAOuSZ5B0&feature=relmfu
“超高速の粒子(タキオン)”を顕微鏡とカレイドスコープで表現している。

天皇賞(春) (ライスシャワー)
http://www.youtube.com/watch?v=IByGQF-123o&feature=relmfu
“極限まで削ぎ落とした体に、鬼が宿る”

それぞれ知っている馬とそのレースであるだけに、興奮もひとしおだ。
スポットをあてる名馬を、昨年のCMシリーズに比べて、
やや王道からズラしているようだ。
個人的には、日本ダービーをサニーブライアンで、
確信犯的な事件という感じでやってほしい。
(タイトなスケジュールで制作してるんだろうなぁ)

一昨年までの「CLUB KEIBA」は新規ファンの獲得が
狙いだったと思うけれども、
昨年の「20th CENTURY BOY」シリーズといい、
今年の「The WINNER」といい、
これでもかというぐらい競馬ファンど真ん中の
サラブレッドレジェンド表現。
おそらくは、不況で競馬離れした元ファン(特にM1層とそのちょい上くらい)の
リマインドが狙いだろう。

わかりやすいくらい、モロな「かっこよさ」。
思う壺だが、ワクワクする。
映像、音、そしてナレーション。
すこしくらい饒舌でもいい。
競馬をこんな風に劇画チックに語る表現は、少ない。
書籍やドキュメントだと妙にしめっぽくなってしまうきらいがあるし。
(それはそれでいいんだけれども)

サラブレッドは、ただひたすら勝つために走る。
実況も。書籍も。CMナレーションも。
その疾駆する姿に物語を見て、想いを重ねる。
ゾクゾクする。
今年は、賭けてもみよう。

ちなみに、サラブレッドの走りを、見る人の生き方や人生観に響かせる
昨年CMシリーズの方が、コピーに深みがあるとは思う。
http://www.youtube.com/watch?v=7AiJq_Kg-bs&feature=related
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by hiziri_1984 | 2012-04-16 00:43 | お酒を頂きながら鑑賞  

引き続き、競馬

“99年 天皇賞(秋)

 スペシャルウィーク、
 逆襲のラン。

 本当の敵は、諦めだ。”

2011年 JRA TV-CM
http://www.youtube.com/watch?v=7AiJq_Kg-bs
(スペシャルウィーク篇は3:00あたり)

引き続きの競馬ネタなのだけれども、
昨年こんなCMが巷で流れていたことはまったく知らなかった。
(おそらくDの制作)

99年 天皇賞。勝ち馬 スペシャルウィーク。
前哨レースでの着外、4番人気という評価をくつがえし、
同世代の強豪馬たちを豪快に差し切ったレース。タイムはレコード。
「逆襲のラン」が、たまらん。

コピーだと、
「常識は、敵だ。」(ミホノブルボン篇)
「群れに答えなどない。」(ナリタブライアン篇)
といった、名馬の栄光にひもづけて、
「生き方の美学」を表現するものはかっこいいけれども、

“僕らは、ひとりでは強くなれない。”

というエルコンドルパサー篇が好きだ。
他篇とはちがう競馬のおもしろさにスポットライトが当たっている。
(ちなみに、98年ジャパンカップは世界の名馬が
 揃うなか、日本勢が上位を独占したレース)

抜群の強さではなくて、強さと強さがぶつかり合って限界を超えていく。
道中、横を走るサラブレッドが、敵であり、また仲間であるという捉え方。
孤高よりも、切磋琢磨。
ちょっと『One Piece』的思想を感じさせる。
共感度の高いコピーだと思う。

ちなみに98年ジャパンカップは、
1着エルコンドルパサー、2着エアグルーヴ、3着がスペシャルウィーク。

この頃は、
天才肌のSS産駒スペシャルウィーク、後に海外GI馬となるエルコンドルパサー、
万能マイラー グラスワンダー、二冠馬セイウンスカイ、メジロの結晶メジロブライト、
屈強のシルバーコレクター ステイゴールド、名牝エアグルーヴ・・・
後に最強世代と言われる名馬たちが生まれた時代。
自分は中~高校生。熱狂した。

「みんなを競馬に。JRA」

タレントを使わなくたって、
サラブレッド、レース、騎手、調教師―
JRAには見る人を熱くするだけの、充分な資産がある。
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by hiziri_1984 | 2012-01-22 19:23 | お酒を頂きながら鑑賞  

名実況

“世界のホースファンよ見てくれ。
 これが日本近代競馬の結晶だ!”

ディープインパクト、史上6頭目の三冠達成。
この実況を久しぶりにやっと聴くことができた。
馬場鉄志氏の名アナウンスである。
(youtubeにあげてくれてありがとう!)

第66回 菊花賞
https://www.youtube.com/watch?v=keMvD7qrtMw

新聞・馬券吹雪が舞う向こうで
駆け抜けるディープインパクトがとにかく鮮烈で、
そしてこのアナウンス。

“世界のホースファンよ見てくれ。
 これが日本近代競馬の結晶だ!”

当時、テレビで見ていて震えた。
情報を伝えるための実況が、
馬主の声になり、調教師の声になり、騎手の声になり、
そして、競馬ファンの声になった瞬間。
もちろん、原稿をきちんと用意していたのだろうけれども、
忘れられない名実況だ。

それから、同じく三冠達成のレースとなった、昨年の菊花賞。
最後の直線、他の馬を突き放し、
三冠に向かって単独で疾走するオルフェーブルを映しながら、
歴代の三冠馬の名をならべる実況は、グッときた。
(若干、演出が効き過ぎてる感も否めないけれども)

第72回 菊花賞
http://www.youtube.com/watch?v=D783542fikg&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=2&feature=plpp_video

“これが三冠だ!”という一言に凝縮したシンプルな実況も、わるくない。
http://www.youtube.com/watch?v=559VI4ZPHAI

それからすこし昔にさかのぼって、1997年の日本ダービー。
逃げ切り、二冠を制したサニーブライアンの走りが痛快だ。

“これはもう、フロックでも何でもない!”
(※フロック・・・まぐれ当たり、偶然の勝利)

この三宅アナの実況も、多くの競馬(実況)ファンの記憶に残っているだろう。
なにせ、痛快だ。

第64回 日本ダービー
http://www.youtube.com/watch?v=6WSV2DYh2A0&feature=context&context=C3faeb62ADOEgsToPDskKnTz8SSfeUL96r56T4W9m9

個人的には、ゴール後に
“勝ちタイムは2分25秒9、上がりの3ハロン35秒1。
 この上がりでは・・・後ろの馬は届かない!”
と、しっかりとタイムで走りを物語るところが好きで、
サニーブライアンの“フロックではない”強さがグッと伝わってくる。

レース映像的には、
スタート直後、小柄な馬体が
先頭奪取へ向けて、外枠から一気に加速するところが熱い。

上記が原稿ありき、ある程度想定済みの実況だとすると、
一方でやはりレースならではのライブ感。
予想外、波乱から生まれる名実況もある。

“大外から一頭、
 何か突っ込んでくる!”

第115回 天皇賞 春
http://www.youtube.com/watch?v=-C_UFjdUpLs&feature=related
想定外のレース展開ではあったが、
杉本清氏は田原成貴とトップガンの気配にしっかり注目していた。
同レースの他の実況と比べると、その差は大きい。

http://www.youtube.com/watch?v=iiYg-ECUeGc&feature=related
(NHK。画面の外から突然現れるトップガン。映像的にはこれがいちばん好き。
 一度「マヤノトップガンは苦しいか」と実況した
 アナウンサーの驚きが生々しくて、それはそれでおもしろい)

http://www.youtube.com/watch?v=wxmk3lHOwak&feature=related
(JRAオフィシャル(?)。3強が並ぶあたり、できればカメラを寄ったままがよかった)

毛色が好きだったのでローレルを応援していたけれども、
トップガンの末脚炸裂に惚れ惚れした。

他に、アナウンサーで言うと、青島アナ。
絶叫系と揶揄されることも多いけれど、
短距離系や混戦時の目まぐるしいレース展開では、
淀みない高速実況は聴いていてたのしいし、声も好きだ。

前の馬群を割ってゴール直前ギリギリで差しきるウォッカを実況した
第59回安田記念は、彼の絶叫が見ているこっちの心境を代弁してくれているようで、
たまらんかった。

第59回 安田記念
http://www.youtube.com/watch?v=MFxbbnw5PU0

ファンファーレ前に“農林水産省章典 第〇〇回 GI 〇〇賞”と
レース名の正式名称を言うスタイルも、GIらしく、気持ちが引き締まって、いい。

書き記したい実況は、まだまだあるけれども、
もう夜遅いのでこの辺にしよう。
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by hiziri_1984 | 2012-01-16 02:53 | お酒を頂きながら鑑賞  

2011年のselection

風のバンド。
http://www.youtube.com/watch?v=KzL35D2hdlE&feature=related

日本語と歌唱。心に沁みる名カバー。
http://www.youtube.com/watch?v=LfiFDbdGq3s&feature=related

この人のパンクは愛とかやさしさであり、
それはさびしさや情けなさの裏返しである、と思った。
http://www.youtube.com/watch?v=cjHp38GnsT4&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=59&feature=plpp_video

世の男のご多分にもれず、このダンスが大好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=bUE6Sng72j4&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=100&feature=plpp_video

顔面芸。
http://www.youtube.com/watch?v=SdpO8b-oA7k&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=22&feature=plpp_video

名作コントを観まくった(その一部)。
http://www.youtube.com/watch?v=__VXBsX6Le8&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=20&feature=plpp_video
http://www.youtube.com/watch?v=X75VLyeAkCI&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=19&feature=plpp_video
http://www.youtube.com/watch?v=qlu-et438xQ&list=FLqKOS4PQV0YgsLbu491ncGQ&index=38&feature=plpp_video

またはじまらないだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=L_HkTP0ldv0
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by hiziri_1984 | 2012-01-01 01:45 | お酒を頂きながら鑑賞  

川崎でゴスペルを

Chill Time Community公演『Keep it Real』@川崎クラブチッタへ行ってきた。
彼らのライブを観るのは2回目である。

ゴスペル体験第2弾(厳密に言うと第3弾)は、
どうだったかというと、楽しかった。

ローリン・ヒルの『zion』くらいしか熱中したことがない(この曲はゴスペルではなくソウルか)
ゴスペル初心者だけれども、こうして縁あってライブへ行く機会が度々できて、
どうだったかというと、とても「oh happy day♪」で「lalalalalalalala♪」な気分であった。

「keep it real」。
ライブ中のMCで、代表の人は
このkeep ir realを「自分らしさ」と言い換えていた(と記憶している)。
“自分らしく”というのはどういうことかというと、好きなことをするということである。
それが、実感を持ってトークされていて、そして何よりメンバーの歌唱で表現されていた。
1回目の渋谷では始動ならではの勢いがあって、
2回目となる今回は活動のコンセプトがより際立ったライブであったと思う。
ともあれ、あれだけの人数の歌唱を聴く機会ってなかなかない。すごくパワフル。
日々の忙しさの中でも、歌によって自分らしさを築いていく喜びがゴスペルとなっていたわ。

ゴスペル独自の「joy」というカンジ。
今回のライブではダンスが加わったことで、
そのカンジがさらに増幅されて「あ、楽しい」ってカラダが動いて。

女性ボーカルの低音ボイスに今回もゾクゾクした。
『SING SING SING』のトランペットに興奮した。
歌う姿がベリーエモーショナル。
最後は、ウーピー・ゴールドバーグの映画の曲。
知っている曲をやってくれるのは、うれしい。

とても「oh happy day♪」で「lalalalalalalala♪」な川崎の夜であった。

Now the jo~y of my wor~ld is in CLUB CITTA、つって。歌いながら帰った。
(語呂のあってなさは、ノリでカバーして)
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by hiziri_1984 | 2011-12-13 05:29 | お酒を頂きながら鑑賞